『精神医学的人間像』

   第二講：自己実現は“意味充足と価値実現の結果”である

                梶川哲司／和歌山県立向陽高校教諭・ＯＷＬ仕事研究会世話人

　前回は『精神医学的人間像』の第一講から、特にフランクル（実存分析・ロゴセラピー）とフロイト（精神分析）やアドラー、またユングとの違いを読んだ。今回は第二講を読んでみよう。

　第二講は精神因性神経症について述べている（以下、「 」はP40-72より引用）。神経症的疾患をその原因からみて、フランクルは心因性、身体因性、精神因性の３つに分類している。そして従来の心理学は心因性神経症の幅が広すぎるという。ここで身体因性とは先天性の病や副腎皮質の機能低下にともなう離人症などを指す。一方、精神因性の神経症を新たに指摘したのはフランクルの独自性である。前回でも触れたが、フランクルは人間の存在を、［心理−身体−精神］が層構造を成す次元的存在とみている。
　では精神因性神経症とはいかなるものか。それは「精神的な問題や道徳的な葛藤や実存的な危機」にもとづいて起こるものである。すなわち人間には深いところで「意味への意志」があり、「自分の現存在をできるかぎり意味に満ちたものにしよう」と考えている。この「意味への意志の欲求不満」が原因となる「葛藤や実存の危機」が精神因性神経症であり、「実存の危機」とは「自分の存在がなんの意味ももっていないという感じ」に悩み、やがてそれが病的になったものである。
　この精神因性神経症にみられる欲求不満感は、「実存的な真空が自分のなかにひきおこされたとき、自分の人生の内容の空虚さを感じる人たちを襲う抑うつ」感となって現われる。だから失業によって惹き起こされたり（「失業神経症」）、休日になると表れるが（「日曜神経症」）、一方、この「真空の恐怖」「空虚への不安」から反って「働き過ぎ」「仕事狂」にもなる（「マネージャー病」）。この場合、当然、そのパートナーは時間を持て余し、「内的空虚」を埋めるためこれまた多くの余暇に無理して時間をつぶそうとする（「マネージャー夫人病」）。いずれも精神因性の欲求不満といえる。

　リヒャルト・シュトラウスの『バラの騎士』というオペラがある（私は1990年にベルリン国立歌劇場による大阪公演で観たことがあるが）。あのなかで元帥夫人が歌うアリアの一節がこの「抑うつ感」を上手く表現している。オペラの幕が開き、狩に出かけた夫の留守中、若いオクタビアンと一夜を明かし、まだその余韻が残る元帥夫人の部屋に、突然の来客が来て劇が進行する。いつものように物売りや仕立屋が来て、騒々しい一日が始まるのだが、やがて、みんな部屋から去り、オクタビアンも出かけようとする時、ふと別れの予感がし、空虚感を感じてしみじみと歌う元帥夫人の有名なアリアである。
　「…時というものは不思議なもの。ただ夢中で生きている時は全く無にすぎない。でも突然、時のほか何物も気にとめないようになるの。時は私たちのまわりを取り囲み、私たちのなかにいる。ほら、私のこめかみの中にも流れている。音も無く砂時計のように。…ああ、カンカン、時々私は時の流れるのを聞くの、絶え間なく。そして夜中には起き上がって時計をみんな止めてしまうの…」と。

　ところでこの欲求不満感そのものは決して病的なものではない。むしろ「治療の武器」である。すなわちここで、すでに彼は「できるかぎり意味に満ちた現存在を求める人間的要求」を持ち、「成しとげるべき課題」を探し始めているからである。実存分析とは「患者をふたたび（意味ある方向に）向け代える」セラピーのことであるから、欲求不満や空虚感の悩みはセラピーの始まりを意味する。ところがこういった「意味への意志」が、「埋もれていたり、気づかれずにいたり、抑圧されている場合には、まずそれを呼びおこさねばならない」。具体的な意味可能性を呼びおこすことがセラピーの第一歩となる。
　いずれにしても、自分にとって意味あることを見いだそうとすれば、己の人生を振り返り、自己の実存を分析する作業が必要になる。なぜなら、「人間は生の経過のなかで自己を展開し」、「かれの意味可能性についても、そこでこそもっともよく読みとれる」からだ。つまり「人生はそれだけですでに一種の個人的現存在の自己説明をあらわしている」のである。
　さて、自分にとって何が意味あることかと考え始めれば、当然、価値あることを志向しようとすることになる。したがって具体的な意味の探求は、「価値の視野」に関係してくる。得てして我々の持つ価値の視野は狭い。しかし「価値の全スペクトルに気づか」なければ、自分にとっての意味は見えてこない。ここでいう価値とは、なにも生産的な仕事や活動（創造価値）だけではない。恋人や家族と一緒に過ごす楽しい時もあるし（体験価値）、運命的なことに直面しなければならないこと（態度価値）だってある。ところでこれらの価値は、「（その人の）なかにひとりでに台頭してくる」「責任性意識」によってとらえられるものであり、決して「強制される」代物ではない。

　以上、フランクルの精神因性神経症の考察を通し、私は、［責任意識の自覚→価値視野の拡大→意味の充足→自己の実現］という自己実現の在り方を学んだ。自分の職業に引き寄せて考えれば、自らの活動を通して、生徒たちに責任意識を自覚させ、価値視野が拡大できるように何がしかの貢献ができれば、と考えている。
　ところでフランクルは、「自分の人生のほんとうに意味を見失ったとき、はじめて、自己の充足が…目的として念頭に浮かぶ」と言う。そして「自分自身への回帰、つまり反省は、単に本来的ではなく、また、欠損的な志向のあり方」だとし、「獲物を逃がしたブーメラン」が投げ手の元に戻ってくるという巧みな譬えで、自分というものに対して直接的に拘泥する不毛さを説いている。
　さらに第二講では、このあと態度価値についての説明があるが次回にしたい。この項は、フランクルの著作のなかでも密度の濃い部分であり、難解な表現の訳文をこらえてでも一読する価値があると私は思う。

　かじかわ・てつじ
　1951年和歌山市生まれ。大阪市立大学法学部卒業。
　｢人はなぜ働くのか｣という疑問を自分の課題にしながら、公立高校の社会(地歴・公民)科
　教員を25年余。ナチス強制収容所の体験を綴った『夜と霧』の著者・フランクルに共感し、
　現在、その思想を多角的に学んでいる。
　著書：山田邦男編『フランクルを学ぶ人のために』(分担執筆、2002年5月世界思想社)

 『精神医学的人間像』

   第三講：人間は“価値に引き寄せられる”存在である

                梶川哲司／和歌山県立向陽高校教諭・ＯＷＬ仕事研究会世話人

　前々回から『精神医学的人間像』を読んでいる。この書には「力動的心理学主義の批判に寄せる三つの講義」という副題がついている（諸富祥彦）とおり、フロイト・アドラー・ユングなどの心理学に対するフランクル独自の立場を述べた講演録である。
　前回は、第二講から精神因性神経症を例にフランクル独自の人間観を考察した。今回は第二講の後半から第三講にかけて読んでみよう。

　第二講の後半は態度価値について述べている。前回で意味の充足は価値の実現によると読んだが、この場合の実現すべき価値には、創造価値（「労働能力」による）と体験価値（「享受能力」による）の他に態度価値（運命や病気に対する「構え」のようなもの）がある。それは不治の病などどうしようもない運命的な状況にあって、「真の運命に対する正しい誠実な苦悩」「必然的な苦悩に対していかに耐えていくか」という、「苦悩する能力」によって実現される価値である。
　一方フランクルは、現代は「非常に広汎にひろまった実存的欲求不満の時代」であり、「多くの人が自分の人生の意味を疑い、しかも、苦悩することができず、それだけに労働能力や享受能力のようなものを過大評価し偶像化するがゆえに絶望する」ことの多い時代だと指摘し、この「人類の集団的神経症」ともいうべき現象こそが「時代精神の病理」なのだという。そして昔のように悩む人は「司祭」のところには行かず、現代は神経症だと称して医師のもとにやって来る。したがって医師は患者に対し、労働能力や享受能力を回復させる他に、「苦悩の能力」を持てるように援助してやることが必要だという。

　さて第三講は「意志の自由」というテーマである（以下、「 」はP73−111からの引用）。ここでは題名のとおり、人間をひとつのメカニズムとみなすフロイトらの人間観［エス（無意識の衝動）−自我−超自我］に対するより厳しい批判が展開される。
　すなわち、人間はエスや超自我から「駆りたてられる」存在ではなく、「価値によって引きよせられる」存在だという。つまり精神分析は、人間はその「背後」にある衝動エネルギーによる無意識の「強制」によって行動していると観るのに対し、フランクルは、人間は「前面」にある価値に対する意識的な「意欲」によって行動するととらえる。つまり、人間の行動エンジンは後ろにあるのではなく彼方にあり、決断の自由を持った存在（＝実存的存在）だというのである。
　ここでフランクルは神経症をかかる決断の自由を保留している（＝責任を担えない）状態だと指摘する。つまり神経症患者は、「自分の現存在を、ひとたびそうであればもはや変わるはずのないものと解釈している人たち」だと言い、神経症の本質を「実存的行為の中止」にあると指摘する。

　ところでフランクルによれば、「人間実存の三構成要素」は「精神性、自由、責任性」であるとされ、ここで責任ということについて興味ある論が展開される。
　責任とは「何かに対して」負うものであると同時に「何かの前で」負うものでもある。後者の「何か」とは「良心」であり、さらにその良心の背後には人格的な超越者である「神」が存在する。この場合の神とは、フランクルの思想全体からみて超意味とか超人格とか「人間外の審級」とか表現されるものであって、決して特定宗教の神を指すのではない。しかしこのような人格的超越者の前で責任を負ってこそはじめて、たとえば苦悩の意味などという態度価値が輝いてくる。そしてここにおいてはじめて人は無条件に、今ある自分の存在を肯定できる地点を獲得しうるのである（と、私はそのように読んだ）。
　そしてこのことを次のような譬で語っている。「舞台の上の俳優は、誰の前で自分が演じているのかは見えない。舞台の天井からの照明やフットライトでまぶしく照らされているうえ、見物席は暗いから。しかしそれでも俳優は、下の方の暗い空間に観客が坐っていること、つまり自分が誰かの前で役を演じていることを知っている。すなわち、人生という舞台の上である役を演じつつ、しかも前景にある日常茶飯事により眩惑されているが、それにもかかわらずいつも人間は、『かれは暗闇につつまれている』（旧約聖書）というその見えない、しかし偉大な証人の証言を予感している」（一部略・要約）。

　以上述べたように、フランクルの心理学は決して近代的科学ではない。合理的な「力動的心理学」を批判するフランクルにとっては当然のことであるが、さりとて単なる“信じる者は皆救われる”といったたぐいの宗教ではない。宗教的真実をあくまでも知的な言葉を用いて現代に生きる我々が理性で十分納得できるように説明する（ように私は思う）。
　しかし最後は、舞台の前に広がる暗闇を空席と見るか、あるいは満席と見るのかという問題が現われる。フランクルの立場は当然、この目の前にある暗闇を観客いっぱいの客席であると“信じる”立場である。訳者解説にあったフランクルの立場を表す「有神論的実存主義」とはこのようなことであろうと私は理解している。

　以上、３回にわたって『精神医学的人間像』を読んだが、この書（特に第三講）は私にとってずいぶん難解であり、読み落としている箇所も多い。しかしここで熱っぽく語るフランクルの人間本来の在り方観は、「自我、エスそれに超自我を分力とする力の平行四辺形の合力として把握されるような人間」ではなく、「立体的で浮彫り（レリーフ）をもつような人間像」、すなわち［心理−身体−精神の三層からなる次元的存在］であることだけはよく理解できた。

　かじかわ・てつじ
　1951年和歌山市生まれ。大阪市立大学法学部卒業。
　｢人はなぜ働くのか｣という疑問を自分の課題にしながら、公立高校の社会(地歴・公民)科
　教員を25年余。ナチス強制収容所の体験を綴った『夜と霧』の著者・フランクルに共感し、
　現在、その思想を多角的に学んでいる。
　著書：山田邦男編『フランクルを学ぶ人のために』(分担執筆、2002年5月世界思想社)

 『識られざる神』：無意識という“ふしぎな援軍”

                梶川哲司／和歌山県立向陽高校教諭・ＯＷＬ仕事研究会世話人

　今回からフランクルの『識られざる神』（みすず書房、フランクル・セレクション３）を読んでみよう。この本にはフランクルの２つの著作が合わさっている。前半部は「知られない神」という1948年の著作、後半部は「ロゴスと実存」という1951年の著作である。今回は前半部を読む（以下、引用「 」は同書P5〜P105）。

　まず第１節で、フランクルは自らの思想（実存分析）の本質を「責任性」という言葉で表現している。すなわち、「人間とは、生の意味への問いを発すべきものではなくて、むしろ逆に人間自身が問いかけられているものであって、みずから答えなければならぬ。そして人間は自己の生が自己自身に向かって発する問いにそのつど答えをあたえてゆかなければならないものだ」と言うのである。この観点から改めてフランクルをみると、彼は生涯かけて「人間を責任負担の意識へと連れてくる」活動に従事したといえよう。なぜなら神経症という病は、完璧性を求める余り、あるいは完璧にできないかもしれないという不安から、自ら責任を負うことを苦手とする。しかし彼は、その精神療法によって、神経症者に「自らの存在が責任を有するものだということを意識させた」のである。
　次に第２節の「精神的無意識」では、人間の無意識には衝動的なものとは別に精神的なものがあるという。人間は単に心身における事実的な存在だけでなく、精神の次元を持つ実存的な存在である。それは我々が常に何かの決断、とまで言わなくても自らが「自由と責任の意識」で判断をしているからだ。しかしこの判断はなにも意識的なものばかりではない。むしろ無意識において行われる判断にこそ真実がある。一般に、意識＝自我、無意識＝衝動(エス)という図式が理解されている（ユングは自我とセルフに分ける）が、しかしフランクルは、「無意識の有する『創造的な力』とか『予見的』な傾向」こそが人間の実存性を保証するというのである。
　このことについて、遠藤周作の次の言葉が参考になる。「悪戦苦闘の限りをつくした揚句、疲れ果てて締めかけている時、突然まったく思いがけなかった突破口が心に浮かんでくることがある。長い経験で私はそのふしぎな援軍が必ず来ることを知るようになったが、それが、どういう場合、どういう風にやってくるのか、その仕組はわからない。しかし、何となく予想できるのは、行きづまり、行きづまって悪戦苦闘の揚句、私が茫然としている時、その智恵とも霊感ともつかぬものは不意にやってくることだ。茫然としている時は無意識が作動してくる瞬間なのであり、無意識が働いてくれる時なのであろう」（『狐狸庵閑談』）。これは無意識のもつ「創造的な力」である芸術的インスピレーションを言い表したものであるが、まさに“良き物は与えられる”（西欧の諺）のである。なおこのことに関連して、アーベル著『我、汝に為すべきことを教えん─作曲家が霊感を得るとき』(春秋社)が興味深い。
　一方、無意識のもつ「予見的な傾向」とは、道徳的な良心のことである。例えば自らの身の危険をも顧みず、咄嗟の判断で目の前に起こった事故に救いの手を差し伸ばそうとする行為などはこれである。ちょうど孟子のいう惻隠の情に似たものである（孟子は、人間は生まれながらに他人の不幸を見過ごせない心が備わっていると性善説を唱える）。
　第３節はこの「良心」の解説である。ここでは［無意識の道徳的良心→決断＝責任負担］ということが示される。すなわち道徳的な決断を人間は無意識の次元で行っており、この働きをつかさどる良心は、「直観的な一つの機能」で「道徳的本能」というべきものである。ただしこの本能は、決して人を一般的、蓋然的な行動に導くものではない。そうではなく「一回限りの唯一無二な」私という存在を、「そのつど問題になって来るものへと向ける」のである。このことをフランクルは、良心は「個体的な志向作用」を持つと表現する。つまり“良心的な人”とか“良心的に生きる”という言葉で良心の本質は表現できない。良心とはもっと個別的、具体的な状況において個人に判断を迫るものである。
　ところで、我々が普段行っている意識的な判断は、一体どのように考えればよいのか。彼は「当為はあらゆる意欲につねになんらかの仕方で先行している」と言って、意識的と思える判断でもすでに無意識において良心が働き、少なくとも倫理的な判断がなされているという。このことを別の所で、「自我がその根底にある無意識の領域に沈み入る」ときに芸術や良心が現れると表現している。
　第４節ではこのような観点から「夢解釈」をする。夢を単に充たされない欲求の顕れとみるのでなく、精神的無意識の苦悩や葛藤とみる。とりわけその人の宗教性の顕れと見るべき場合も多い。そもそも宗教性は、「羞恥を伴って隠匿される」傾向にあるからだ。

　さて第５節では「良心の超越」ということが語られるが、ここはフランクルの独自性がよく現れている箇所である。すなわち前節では、道徳的な良心を精神的無意識の一つと理解したが、より厳密にいえば良心の根源は「人間の外」にあり、我々はそこからの「声」を聞き取る、これが良心である。このことを彼は「…良心を通じて人間の外にある一つの審判者の声が響きわたる」と表現する。すなわち人間はアンテナのついた共鳴箱のようなものを無意識の内に持っており、ここで良心の根源からの声を聴き、それを基に判断し、行動する。だから「良心は、…おのずから超越を指向している」と言うのである。
　さらに「良心という心理学的事実は一つの超越的現象の単なる内在的側面」だとも言う。すなわち、良心の根源は明らかに人間を超えた存在である。前節ではこの超越（良心の根源）の声を聴き取ることを（人間の）良心と表現したのである。
　ここでフランクルは、人間が内部に確たる良心を持っているとは決して言わない。そう言ってしまえば汎神論となる。そうではなく、「良心は超越の声であり、その限りにおいてそれ自体超越的なのである」とあるように、我々人間は「超越の内部に源を発する」声を聞いて、自らの無意識の内で倫理的判断を下している、これが人間の良心の姿だという。そしてこのことを「人間がみずからの内部にそれと意識することなく天使を秘めている」と表現する。なおこの場合の「超越」とは、一神教では“神”、儒教では“天”、そして仏教では“慈悲心”で表されるものをいう（山田邦男『生きる意味への問い』）。
　このように人間の意識的と思える判断（自我）も精神的な無意識の世界から出ており、さらにその根源を人間の外にある超越的な存在に求めるのがフランクルの考え方である。

　かじかわ・てつじ
　1951年和歌山市生まれ。大阪市立大学法学部卒業。
　｢人はなぜ働くのか｣という疑問を自分の課題にしながら、公立高校の社会(地歴・公民)科
　教員を25年余。ナチス強制収容所の体験を綴った『夜と霧』の著者・フランクルに共感し、
　現在、その思想を多角的に学んでいる。
　著書：山田邦男編『フランクルを学ぶ人のために』(分担執筆、2002年5月世界思想社)

 『識られざる神』：ロゴスと実存

                梶川哲司／和歌山県立向陽高校教諭・ＯＷＬ仕事研究会世話人

　フランクルの『識られざる神』(みすず書房、フランクル・セレクション３)を読んでいる。この本には、フランクルの２つの著作が収められており、前回はその前半の一部を読んだ。今回は後半部の「ロゴスと実存」を読んでみよう。
　この後半部は「実存分析と現代の諸問題」「人格についての十の命題」「精神療法」の３部から成っており、それらは1946年と1950年に行われた３つの講演録で、1951年に出版されたものである。それぞれの講演は、『死と愛』(みすず書房)、『制約されざる人間』(春秋社)、『病める人間』(未訳)という彼の著作のそれぞれの「命題を総括したもの」と自身が序文で解説している。しかしこれら(1951年版)はその後、加筆と修正が加えられている。そしてこの修正版(1991年版)の訳が最近、『意味への意志』(山田邦男監訳、春秋社）というタイトルで出版された。したがって日本語訳で２種類の原文（1951年版がみすず書房から、1991年版が春秋社から出版されたことになる）を読み比べることができる。
　さらにまた、これら３つの講演録のうちの「人格について十の命題」については、1951年版の訳が『苦悩の存在論』（新泉社）のなかにも訳出されている。この本の訳者（真行寺功氏）によれば、この著作が「フランクルの人間観を理解する上で最も簡潔なものだ」という。私もまたわずか十数ページのこの著作に、フランクル思想のエッセンスが凝縮しているように思う。以下、私なりの要約である（�@〜�Iは命題番号）。

　人格とは個人にあるものだから分割も統合も不可能で、その由来は“神の創造”にまで遡る(�@�A�B)。人間は精神的人格と心身的有機体から成っており、人間の尊さは精神的人格に由来する。精神的人格は身体−心の世界に抵抗し、人間を心身の平面的次元から立体的次元の存在へと“立ち上げる”力動的な作用をする(�C�F�G)。人格は実存的であり(＝決断をする)、このことは人間が責任を持つ存在であることを表し、意味と価値の世界に対して自由を持っていることを意味する(�D)。人格は本質的には非反省的な無意識、つまり精神的無意識である(�E)。また人間は人格により自分を超えた立場に立つことができ、自分自身に対立することもできる。このことは当然、より高次な精神的存在の必要性を意味する(�H)。つまり人間存在の根拠には超越者(神)があり、この神からの呼びかけを良心において聴き取り、それに共鳴すること(神の模倣)が人格の顕れとなる(�I)。

　以上のように、ここに表れたフランクルの人間観はきわめて「伝統的なキリスト教的人間観に立ったもの」であり、「同世代のロジャーズ（心理学者）に比べて古典的な近代主義の枠内にある」（『フランクル心理学入門』諸富祥彦）と評されるべきものである。確かにフランクルに何か新しい宇宙感覚のようなものを期待するのであれば、彼の思想は余りにも“保守”的と言わざるを得ない（しかし私はこの保守性にこそむしろ深い信頼を寄せるのであるが・・・）。

　ところで、このたび新たに訳出された山田邦男監訳『意味への意志』（春秋社、1991年版の訳）によれば�Hと�Iは大幅に加筆されたことが分かる。
　すなわち�Hにおいては、「動物には人間側の配慮が理解できないのと同じように、人間にもどうしても理解できない上位の世界（＝超世界）があり、その世界のもつ意味（＝超意味）だけが人間の苦しみに意味を付与することができる、この超世界とは、人間は予感しながらも信仰によってしか理解できない世界である」（要約）という付け加えがある。
　また�Iにおいては、改めてフランクル思想であるロゴセラピーと宗教の関係について整理した一文が加えられている。確かに1951年版の記述では、唯一神教の信仰を理論化したに過ぎない面があった。しかしここでは新たに、「ロゴセラピーは啓示信仰の手前で活動しなければならない、有神論的世界観と無神論的世界観に進むその分岐点の手前で意味の問題に答えるべきだ」（要約）とし、改めて宗教との間に一線を引いている。すなわち「信仰性という現象を神への信仰としてではなく、より広い、意味への信仰として理解する」ことがロゴセラピーだと指摘する。つまり、意味の背後に絶対者・超越者として神を認める人もあるしそうでない人もある、しかしそれは宗教の問題であって、ロゴセラピーは「意味への信仰」にまで人を案内するだけである（ただしフランクル自身はユダヤ教の神を意味の背後に見ているが）。
　さらに、「人間がその存在の意味（＝生きる意味）を問う営みは、意味の存在がすでにあらかじめ前提されているからこそ可能である、人間には先天的に自らの存在に意味があることを（どのような内容かは分からずとも）予感しており、“意味への意志”とはこのような予感から成るものである」（要約）と付け加えている。

　最後に、この「ロゴスと実存」という本の序文で興味深いことが語られている。それは、「ヘブライ語で、認識と性行為を意味する言葉が同一である」という指摘である。
　ここでフランクルは、実存主義が「決断」において自由を強調する余り主観的過ぎて客観的精神世界が欠如しており、「認識」においては反対に客観的過ぎて主観の精神的努力が欠いていると批判している。この文脈において上記の言葉が語られているのである。
　私はユダヤ文化においては「知る」ということと「性交」が同じ語源だとの説明に、かねてから旧約聖書の記事で不可解に思っていた疑問が氷解した。それは創世記に「カインは、その妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。」（４章）とあるように、旧約聖書では何箇所かにこの「知る」ということばが「性交」を表すのに使われている。私はなぜ、知とセックスが同じ言葉なのか長く疑問に思っていた。
　フランクルによれば、認識という営為においても愛の行為においても、共に「私が自分を存在（対象）にさし向け、それに自分を捧げる」からだと説明している。なるほど、と得心した次第である。

　かじかわ・てつじ
　1951年和歌山市生まれ。大阪市立大学法学部卒業。
　｢人はなぜ働くのか｣という疑問を自分の課題にしながら、公立高校の社会(地歴・公民)科
　教員を25年余。ナチス強制収容所の体験を綴った『夜と霧』の著者・フランクルに共感し、
　現在、その思想を多角的に学んでいる。
　著書：山田邦男編『フランクルを学ぶ人のために』(分担執筆、2002年5月世界思想社)