生きるとは､問うことではなく､答えることである
梶川哲司／和歌山県立向陽高校教諭・ＯＷＬ仕事研究会世話人
２月の読書会では、中島義道著『働くことがイヤな人のための本』というのがテキストであった。「どうせ死ぬのになぜ生きる？この答が分からなかった」と長い引きこもりの体験を赤裸々に、また多少、おもしろおかしく綴ったこの本を読みながら、私はフランクルの「生きるとは、問うことでなく、答えることである」という言葉を思い浮かべた。
フランクルはあるインタビューで次のように語っている。「……人間には『私の人生の意味はなにか』と問う権限がない。人生こそが、人間をいつでも問いに直面させている。人間はその問いに答えなければならない。……人間は答える存在、答えなければならない存在です。人間は、ことばによって答えるのではなく、行為によって、責任ある行為によって答えます。人間が問われている存在だということです。そして、人生のどの状況も一つの問いであるということです。日常の人間、日常の具体的な状況にある人間は、あらためて反省することはけっしてありません。彼には分かっているのです。いま私はこれをしなければならない、ということが。」（『宿命を超えて、自己を超えて』春秋社、一部略）
どこか謎めいた言葉であるが、今回はこの言葉を考えてみたい。
フランクルという人物は一般に、重厚で哲学的な思索を重ねた精神科医というイメージが強い。事実、彼の著作のなかでも『制約されざる人間』（春秋社）などは、ずいぶん難解で哲学的である。しかし、その彼が人間理解において、人間の健康的な在り方というのはきわめて行動的だと指摘する。ちょうど朱子学の理気二元論を克服しようとした陽明学のような感じがする。
ここで彼がいう健康な人間とは、“日常の具体的な状況にある人間”にみられる“改めて考える（反省）ことなく、いま自分がしなければならないことを理解している”存在である。このような人間の在り方を、彼は本来的とし、それを「前反省的存在論的自己理解」とか「市井の人」などとも表現している。
しかし、単に何も考えず毎日の課題に忙殺されている我々の日常を、フランクルはそのまま是としているのだろうか。あるいは、「なぜ生きるのか？」という人間存在の根本にかかわる（実存的な）疑問を持つことなど、そもそも初めから戒めているのだろうか。
そうではない。ここで彼が言わんとしているのは、そのような疑問を持つことは当然のことで、むしろ人間の本質的な疑問（人間である証拠）である。しかしこれを彼のいうところの「精神」の働きで解決しようとするならば（実際のところ、我々は多くの場合“暇つぶし”をしてこの疑問をなだめすかしているのだが）、我々は何か価値あるものに自分を差し出して生きようとするから、そこには考え込むほどの悩みは起きないというのである。
以前、黒澤明の映画『生きる』という作品を例に挙げ、働くことの意味を論じたことがあった。ここでもう一度あの映画を思い出してみよう。
胃がんで余命いくばくもない主人公（市役所の市民課長）が、生の空虚感に悩み、生きる実感を求めて、かつての部下で今は小さな町工場で玩具を作っている若い女子工員に、「君はなぜそんなに生き生きできるのか」と生きる“秘訣”を尋ねるシーンがある。そんな問いかけにビックリした彼女は、「私はただ、食べて、働いて……」と自分の平凡な日常生活を語る。しかし主人公の迫力に満ちた詰問にしばし考え（普段はそんなことなぞ考えもしないけれど強いて答えれば）、「……こんなもの（玩具）でもネ、作っていると楽しいわよ、日本中の赤ん坊と友達になれるような気がするの……。課長さんも役所で何か作ってみたら……」と彼女はおずおずと言う。
この言葉から主人公は、平凡で日常的な生活・仕事を通して確信できる“社会（世界）との繋がり”が自分に欠いているのだと理解する（と私は見ている）。そしてこれをきっかけに主人公は職場に戻り、自分の仕事で未処理になっていた市民公園をつくってほしいという陳情を実現させようと働き始める。
市民からの切実な要請に市民課長として誠実に対応しようとすれば、さまざまな手続きや根回し、さらには入念な現地視察が必要となってくる。映画ではそういった必要に迫られた仕事を、次から次へとこなさざるを得なくなった主人公の忙しそうな職場での活動が描かれていく。しかしスクリーンには、公園作りに対するみなぎる使命感や自意識、また満たされた幸福感などは微塵も描かれない。ただ市の市民課という役割に、むしろ“振り回される”ようにして奔走する多忙な公務員の姿であった。
ここで注意したいのは、この映画は、自分の生に倦怠を感じたサラリーマンが余暇活動に参加して生きがいを見出した話ではないという点である。よく似た映画に『Shall We ダンス？』（1995年、周防正行監督）という作品がある。空虚感に悩むサラリーマンが淡い恋心から始めた社交ダンスに夢中となり、やがて生活の張り合いや家族への愛を取り戻していく話である。日本のアカデミー賞を総なめにしたこの作品は、世界各国でも上映され、特にアメリカでは「ミッド・クライシス」（中年の危機）に悩める人たちが大喝采を送ったという。映画としては確かに面白い作品であるが……。
さて冒頭のフランクルの言葉との関連で言えば、映画『生きる』の主人公はさしずめ「私の人生の意味はなにかと問う人」であった。しかしやがて「日常の人間、日常の具体的な状況にある人間」になったのである。この間、彼に起こったことは人生（世界）観の“転換”であった（と私は思う）。決して、仕事や余暇に生きがいを見出したといったレベルの問題ではなかった。そしてこのことは、私が最も言いたいことである。
役所で多忙に働くこのような人の姿を見て、誰も彼を仕事人間だと揶揄しない。そしてまた、ただ単に忙しくさえしていれば充実した生であるという軽率なことも決して思わないだろう。
かじかわ・てつじ
1951年和歌山市生まれ。大阪市立大学法学部卒業。
｢人はなぜ働くのか｣という疑問を自分の課題にしながら、公立高校の社会(地歴・公民)科
教員を25年余。ナチス強制収容所の体験を綴った『夜と霧』の著者・フランクルに共感し、
現在、その思想を多角的に学んでいる。
著書：山田邦男編『フランクルを学ぶ人のために』(分担執筆、2002年5月世界思想社)
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